Index Top 我が名は絶望――

第3節 博士の後悔?


 協会を出発してから、三日が経つ。
 森の中を早足で歩きながら、フェレンゼは懐から取り出した懐中時計を見つめた。時計の針は、十三時五十分を指している。だが、ディスペアは現れなかった。
「彼は、約束の時間に来ることはありませんが、約束自体を破ったことはありませんから。今頃、僕を追いかけているのでしょう」
 声に出さず、フェレンゼは愚痴をこぼした。
「でも、残念ながら遅かったみたいですね」
 周囲に広がっているのは、鬱蒼とした針葉樹の森である。二十メートルを超える木々が無数に立ち並んでいた。生い茂る枝葉に遮られ、日の光は地面に届いていない。そのせいか、少し冷える。下草や潅木は少ない。広葉樹の森よりも歩きやすいが、その分歩いた痕跡も残りにくく、相手を追うのには手間がかかる。
 それでも、相手の人数が多いので、痕跡を探すのにさほど苦労はしなかった。
「さすがに、三十人近い人間が、何も残さず森の中を進むのは無理ですし……」
 地面には、沢山の足跡や不自然に折れた潅木の枝など、人間の通った痕跡がいくつも見受けられる。素人がこの痕跡を見つけるのは非常に難しいが、慣れてくればそれほど難しいことではなかった。自然と目に入ってくる。
 フェレンゼは早足でその痕跡を追いかけていた。
「さて。彼らにはあとどれくらいでぶつかりますかね?」
 服の下に仕込んだ装備を確かめながら、自問する。自分が追っている痕跡は、それほど古いものではなかった。それどころか、新しい。まだ一日も経っていないだろう。早ければ、今日中に会える。
 しかし、会えることが幸運とは限らなかった。
「何しろ、命を懸けるんですから」
 言っていることの内容とは対照的に、口調は至って涼しげである。数年前、仕事仲間に止めろと言われたこともあるが、いかんせん性格なので矯正のしようがない。直す気もなかったが。
 と、その時。
「おや……」
 背筋を撫でる寒気に、フェレンゼは足を止めた。
 懐に手を入れ、折り畳み式の杖を取り出す。一振りで、自分の身長と同じほどの一本の杖となった。強度と柔軟性、ともに優れた特殊合金製である。
 フェレンゼは漠然とした方向に向けて、声を発した。
「誰ですか? 気配を隠しきれていませんよ」
 その言葉に応じるように、木の陰から数人の男が姿を現す。
 人数は四人。誰もが野外活動をするための動きやすい服を身にまとっていた。迷彩らしく、色は深い緑色である。腰には、剣を差していた。男が三人、女が一人。
「何者だ、お前は?」
 男の一人が問いかけてくる。声を発したのは、一番左の黒髪。
 フェレンゼは相手を見回した。ここにいるのは四人だけ。伏兵はいないだろう。
「僕は、セノゼザン考古学協会で特別研究員をしている、サガニッツ・オイス・フェレンゼという者です。名前くらいは聞いたことあると思いますが」
 心持後ずさりしながら、フェレンゼは自己紹介をした。ここで自分の名前や肩書きを名乗ったところで、不都合はない。逆に相手を動揺させることができる。
 案の定、四人はお互いに顔を見合わせた。
「フェレンゼ……」
「あの、天才と名高い科学者か……?」
「それが、何で……」
「それよりも」
 相手の囁き合いを遮り、フェレンゼは声を上げた。目つきを細くして、
「あなたたちこそ何者なんですか? まさか、こんな森の奥で野盗ということもないでしょう。察するに、発掘隊の最後尾といったところですかね」
「そんなところだ」
 四人のうちの一人が言ってくる。声を発したのは、金髪の男だった。淡々とした口調である。そこから相手の考えを読み取ることはできない。
「それで、お前は何しに来た? こんな森の奥にそんな武器を持って。まさか、単なる散歩ということもないだろ」
 金髪の男は、さっきの台詞を真似たような質問を返してきた。
 フェレンゼは自分の目元に指を当てる。眼鏡の位置を直しながら、
「あなたたちに言っても分からないでしょう。あなたたちの発掘隊の隊長であるクロウに会わせて下さい。彼に大事な話があります……」
 そこまで言って、口元に薄い苦笑を浮かべた。
「しかし、ただでは会わせてくれそうにはありませんね」
「ああ――」
 金髪の男が頷き、剣を抜く。
 それを合図に、他の三人も剣を抜いた。反りのある細身の薄刃。肉と血管を斬り裂く武器。木漏れ日を受けて、薄く輝いている。
「それで、どうするつもりですか?」
 呟きながら、フェレンゼは懐に手を入れた。
 その動きを警戒してか、相手は何もしてこない。さきほどから話をしている金髪の男だけが言葉だけを返してくる。
「隊長の命令では、追って来る者は殺せということだ。フルゲイトを他人に渡すつもりはないらしい。それに関しては、オレも同意見だ」
「そうですか」
 呟きながら、フェレンゼは相手との距離を目測した。二十メートルほどだろう。即座に攻撃が届くという距離ではない。
 相手から目を離さず、話を続ける。
「しかし、僕はここで殺される気はありません」
「だが、生かしておく気もない」
 その台詞を合図にして、一人が懐から二枚の呪符を取り出した。もう一人は、口の中で呪文を唱え始める。残った二人は、剣を構えた。
 相手の構成は、魔道士二人と戦士二人らしい。その実力は分からないが、並ということはないだろう。一流の下といったところか。
 四人は、じりじりと距離を縮めてくる。
「選択の余地は、ありませんね」
 ため息をついて、フェレンゼは懐から手を出した。その手には、二本の筒が握られている。長さ十センチ、直径一センチほどの白い筒。小型の閃光弾だ。
 短い呪文を唱えながら、それを放り投げる。
 四人が動いた。それぞれが攻撃を仕掛けてくる。が――
「ファイア」
 相手の攻撃よりも早く、フェレンゼは魔法を放った。小さな炎を生み出す、基本の攻撃魔法である。だが、威力は弱く、これだけで敵を倒すことはできない。その反面、詠唱文は一文だけ。標的は、自分が投げた閃光弾。
 炎が閃光弾を包んだ。その熱によって中の薬品が急激な化学反応を起こし、破裂する。網膜を焼くような光が、一帯を白く染め上げた。
「!」
 いきなりの閃光に、敵の動きが止まる。
 光が破裂した時には、フェレンゼは身を翻していた。
 元来た道を戻るように走り出す。閃光で視力を奪われては、まともに動けないだろう。その間に、逃げなければならない。
「いくらなんでも、戦闘訓練を受けた人間を四人も相手にはできませんからね」
 言い訳するように呟き、フェレンゼは全力で足を動かした。
 自分の戦闘能力を考える。科学者とはいえ、色々な厄介事に巻き込まれることが多いため、一通りの戦闘訓練は受けていた。並の相手ならば、無傷で倒す自信がある。しかし、この四人を相手に互角に戦えるかといえば、答えは否だった。戦えば、一分と経たずに殺されてしまうだろう。
 ならば、逃げるしかない。
「足には自信がありますが、はたして逃げられますか――?」
 男たちが追ってくるのが気配で知れる。
「やはり、彼を待つべきでしたね」
 自分の先走りを後悔するが、それで状況が好転するものでもない。
「飛氷槍!」
 走る速度は落とさぬまま、フェレンゼは横に跳んだ。自分がいた位置を、青白い氷の槍が貫いていく。飛び散る冷気に、地面や下草が凍りついた。
 一瞥する程度に後ろを振り返り、相手の位置を目測する。
「ウォール!」
 自分と追ってくる男たちとの間に、薄い光の障壁が現れた。本来は攻撃を防ぐために使う魔法だが、相手を足止めする壁としても使える。
 一度は立ち止まる四人だが、誰かが魔法の一撃で障壁を打ち破った。
 後ろを振り返らぬまま、フェレンゼは再び呪文を唱え始める。
(まさか、クロウに会う前にこんな窮地に陥るとは……)
 ディスペアを待たなかったことを心底後悔した。


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